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ペ・ドゥナ「空気人形」 [日本映画]

“ココロ”はさみしい…でも、愛おしい。


空気人形とはつまりダッチワイフのことで、最初は冴えない中年男の性欲処理のために作られた、ただの人形でしかなかったのに、いつしか“心”を持つようになったことで恋をして、今まで感じなかった切ない胸の痛みとか孤独、苦悩、儚い一生を知ることになるというヒューマンドラマなんですよね。

なんといっても空気人形を演じるペ・ドゥナがすごい。

最初のうちは明らかに表情もなければ皮膚の質感も人形そのものなのに、途中から人間か人形か
まったく区別がつかなくなるもん。オールヌードの場面も何度かありますが、オールヌードに挑戦したというのも驚き。空気が抜けていくと次第に表情もなくなって、いかにも人形らしい質感に戻っていくんですよ。しかも、これがリアルにビニール製らしい質感なんだよなー。


この違い、どこまでが人形でどこからがペ・ドゥナなのか分からないあたりは演技を超えて素晴らしいの一言。もちろん、質感だけでなく、彼女のちょっとした仕草にしても微かな表情の変化にしてもすべてが100%無機質な空気人形であって人間ではないのに、演じるのが人間であっても人形に見えてしまう、ある意味、“空気人間”ともいうべき説得力がありえないファンタジーを現実的な作品に昇華させてます。

“いのち”は自分自身だけでは完結できないように作られてるらしい。
花もオシベとメシベだけでは不十分で、虫や風が訪れてオシベとメシベの仲立ちする。
いのちはその中に欠如を抱いていて、それを他者から満たしてもらう。
世界は多分他者の総和。
しかし、互いに欠如を満たしてるとは知りもせず知らされもせず、バラ巻かれてる者同士、無関心でいる間柄。時に疎ましく思うことさえも許されている間柄。
そのように世界が緩やかに構成されているのはなぜ?花が咲いているすぐ近くまで虻の姿をした他者が光をまとって飛んできている。
私もある時、誰かのための虻だったろう。
あなたもある時、私のための風だったのかもしれない。

(劇中で引用される吉野弘詩集「生命は」より)


この詩は劇中でかつて代用教員だった老人がのぞみに語るモノローグとして詠まれますが、これがなかなか奥が深い。

この作品で描かれる“人間”はみんな体の中身は空っぽで、他者との関わり合いを避け、孤独に生きようとしてます。

空気人形の持ち主の秀雄は勤務先のファミレスで年下のコックから小バカにされ、元カノとの失恋を引きずったまま、生身の人間との恋愛は「面倒臭い」という理由で心を持たない空気人形を慈しむ毎日。
誰も話し相手のいない老婦人は毎日のように近所の人に声をかけて、何か事件が起こるたびに交番に駆け込んでは自分が犯人だと名乗り出る日々。
無理にでも食べ物を詰め込んで過食症になるOLもいれば会社を訪ねてくるお客に相手にされない年増の受付嬢は自分で自分の留守電に吹き込んだ愚痴を聴いて自分を納得させようとしてます。

みんなそれぞれに心の奥に抱えた空虚感を何かで埋めようとする行動をしながら、相反するように孤独に満足してるかのような表情も見せるんですね。
そういう意味で、この世界は他者と関わるのが苦手な人たちで緩やかに構成されてると言えるかもしれません。

「人は一人では生きられない」

というのは昔からよく言われてますが、実は誰かと関わり合いながら人は生きてるわけで、その中で煩わしい人間関係を避け、孤独に生きようとしていても、その実、お互いに風になったり虫になったりしながら、欠如した部分を埋め合ってるのが現実。

そんな世界で心を持った人形ののぞみは正真正銘人間になるために空気人形の象徴である空気を入れるエアポンプを捨て、恋する純一にお腹の空気穴から直接空気を吹き込んでもらうことで“生”と“愛”を実感し、人形にはない老いることを受け入れようとしました。たとえ自分が男の性欲処理のために存在する空気人形…今で言えばラブドールだと分かっていても、生きること、愛することを知った人形はそうするしかなかったんですよね。

ただ、どんなに人間になろうとしても、自分は所詮代用品でしかなく、いくらでも代わりのある存在。しかも、旧型でビニール製の安物というのがまた皮肉で、用済みで物置に押し込められた自分の代わりに秀雄の横には最新のシリコン製ラブドールが…。

どうあれ人形であることに変わりはないわけだけど、愛する純一が直接空気を吹き込んでくれる瞬間に感じるエクスタシーはのぞみにはSEXと同じ。その瞬間にのぞみが見せる恍惚の表情は空気で膨らんでるために中身が空っぽな自分が愛する人の吹き込む生温かい息で心が満たされていく幸福感にあふれていて、それはかつて見たことがないような生々しいエロティシズムを感じさせる場面でした。

でも、人形は人形で、人間は人間。

心を持った人形の愛情がもたらす衝撃的な結末にはやられました。

空気人形はビニール製のダッチワイフから超リアルなシリコン樹脂製の高級ラブドールへと進化しました。

じゃあ、人間はどうなんだ。

まるで人形みたく中身が空っぽな人間は「自分は生きてるんだ」という“生”の実感を感じず、他者との煩雑な関係も面倒くさがる。そして、空っぽのまま何かに満たされることもなく、生を感じないから死の恐怖も感じない。
ふとしたアクシデントから手首に釘が刺さって穴が開いてしまい、プシューっと音を立てながら空気が
抜けていく瞬間の表情はまさに「死にたくない」という欲求ですが、空っぽな人間は逆に退化してるといえるかもしれません。

「人形は燃えるゴミ」
「人間は燃えないゴミ」


という言葉も印象的でした。

「ノルウェイの森」でも光っていたリー・ピンピンのカメラワークは透明感があって幻想的で美しく、world's end girlfriendが奏でるエレクトロニカのサウンドがこの独特の世界観を彩っていて、
すべての面で素晴らしい。


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