「トイレのピエタ」
RADWIMPSのボーカルであり神様的なソングライターの野田洋次郎主演なんだけど、
まるでRADWIMPSの世界観そのまんま。
僕にとっては「セッション」と甲乙つけがたいけど、上半期1位。
夢に挫折したうえにスキルス胃癌で余命3ヶ月の宣告をされた青年の苦悩と葛藤を描いた作品で、真っ暗な闇の絶望の中でフラッシュのようにほんの一瞬ピカっと瞬く希望の光の眩しさを描いた作品で、このまま何もしなくてもただ死ぬのを待つだけの気鬱な日々から抜け出したくてもどこにも逃げられず、抗がん剤の副作用がもたらす生死の狭間で生きたいともがきながら、死にたくないとしがみつきながら、「俺は今この瞬間生きてるぞー」って心底から実感しながら迎える最期の瞬間を描いた作品。
「君と僕が出会えた奇跡を信じてみたい」
この世界で生まれたことも死んでいくことも人はみんな誰だって初めてなんだから、
みんな人生初心者なんだから、すべてを肯定していくしかない。
生きてるって、ただそれだけで素晴らしい。
ただそれだけで幸せ。
ただそれだけでこの世で最も美しい奇跡。
そんな中で偶然に出会った少女との交流がただ自分を変えていくだけならきっとつまんなかったかもしれない。でも、そうではなかった。
刻一刻と死に向かっていく青年の日常は少女と出会ったくらいでは変わらない。
だって、そんなこと言われなくたって自分が一番よく分かってるんだもん。
両親のいる実家に帰ったところで、東京に戻ってみたところで病気が治るわけでもなく、
死ぬのが怖くなくなるわけもなく、「なんで俺が」と恨んで嘆いてみたところで結局目の前は何も変わらない。
このままいつもと何も変わらず、
ごくごく普通に過ごすと思ってた夏がまさか生涯最後の夏になるなんて誰も思わないし、
思ったところで何もしないよね。
でも、僕たちが当たり前のように過ごす日常。
そんなもんは当たり前のようで当たり前ではないということをこれ以上ないくらい強烈なピエタで心に刻んでくれる作品。
中盤ですでに何度も泣きながら見ていたのですが、ラストはもう涙が止まらなくなりました。
苦しい感情のマイナスの浄化と、たとえ一時でも恐怖の支配から解放される心の昇華はまさに食べては排泄する自然の摂理に似ていて、汚物を吐き出してはキレイに洗い流すトイレにはぴったり。
ところで、プールに金魚はあえてのあえて?(笑)
生物は儚いものだから、せめて生きてるうちは水槽ではなく広大なプールで思う存分に全力で泳げ!生きてるうちは全力で走れ!生きてるうちは全力で生きろ!そして、全力で死んでピエタのようになればいい。
自分が今しなければいけないことを問われるような作品でした。
エンディングで流れる主題歌「ピクニック」がまた作品とリンクしていて素晴らしい♪
仲良しなどとはとても言えないこの『毎日』に
あまりに突然にさよならを切り出された
好きでもないのにフラれた僕を君は横で笑う
たまに上手に生きられた日には隠れて笑ってみた
「無様にもほどがある」
誰かが遠くで言う
じゃあ誰に教わればいい?
はじめて生まれたんだ
宇宙のまばたきの間の刹那に恋をしたよ
はじめてしがみついたこの世界の袖
振り払われようとて握りかえしたよ
(「ピクニック」野田洋次郎from RADWIMPSより)
この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。
コメント 0