人が人を想う気持ちにゲイとか障害とか関係ない。
人が人を想う気持ちに正しいも間違いもない。
人が人を想う気持ちは決して誰にも止められない。
人が人を想う気持ちは決して誰にも奪えない。
………のはずが、
純度の高い無垢な愛情は差別と偏見という社会の怪物によって理不尽に引き裂かれました。
一緒にいたいという、ただそれだけのささやかな願いを粉々に打ち砕きました。
いつだって今だってまだまだ差別はなくならない。
だからこそ、世界を変えるんだという想いを諦めてはいけない。
そうすればいつの日かきっと…。
I shall be released.
We shall be released.
ルディが歌い上げる心の叫びに激しく感情を揺さぶられました。
悔しさと怒りと悲しみの涙が溢れてきました。
映画「チョコレートドーナツ」は生きていくうえで無条件に大切なものが何かに気づかせてくれました。
I see my light come shining from the west unto the east.
Anyday now, anyday now,
I shall be released.
マッドが覚醒したぜ!
最前列のど真ん中でフュリオサ大隊長を崇めてまいりました。
マッドマックスという名のアクション祭りは超シンプルなストーリーの中に込められたメッセージと体中を漲るエネルギーがとんでもなくすごいぞ。
独裁者によって支配された世界よりも自分自身の尊厳と自由を求めて希望の地を目指した女たちの鋭い眼光が時に優しさに満ちた母性愛に変わるのがいい。
寡黙で孤独なマックスが気がつけばフュリオサ大隊長を援護し、
何も語らずとも共に戦う姿が男前でめっちゃカッコええやん。
洗脳から解き放たれたニュークスが見せる男気が
生きる意味を教えてくれたケイパブルへの感謝のようでツラい。
そして、フュリオサ大隊長は一挙手一投足がもうカリスマティックですべてが魅力的。
希望を失った瞬間に見せる慟哭は思わず僕まで叫びそうになったもん。
2時間のほとんどが超興奮のアクションアクションアクション!
それでいて自分が生きる意味を問う人間ドラマもあるだけに、
いやー、これはスクリーンで観て良かったわ。
アドレナリンマックス!
For Paul.
映画「ワイルドスピード SKY MISSION」がサイコーすぎた。
ポールよ、まさかこの作品で泣くなんて正直思いもしなかったよ。
ずっと仲間ではなく家族だったドムとブライアン…
二人で共に歩み、世界中を飛び回ってさまざまなミッションを乗り越えてきたからこそ、あの併走から道を分かつラストドライブは号泣でした。
愛すべきポール・ウォーカー
今のところはSee you againではなくGood bye for nowであってほしい。
別れなんてないんだ。
いつかまた思い出を語り合おう。
それはそれとして、作品としてはどんどんスケールアップして、
逆に最初の頃のゼロヨンレースとかニトロで加速するメカニズムを見せる演出とか懐かしく、
それでいて水着のお姉ちゃんのお尻を意味なくドUPにするB級感は今もそのままに超大作になったのは1作目からのファンとしては嬉しい限り。
ジェイソン・ステイサムという最強の好敵手とドムの真っ向勝負はアドレナリン全開。
オールクライマックスと言えるようなアクションの連続にやふおおお~!
アブダビの超高層ビルからガラスを突き破ってスーパーカーで飛び降りる場面なんて、
今後はこれ以上のアクションは拝めないんじゃないかと思うくらい超弩級のド迫力と緊迫感。
個人的にはブライアンが崖から車体ごと落ちそうになる場面が最もドキドキでした。
(↑正直なところ、どこかで彼は死ぬんだろうと思ってたから余計にハラハラ)
もっともっとたくさんの作品で見たかったポール・ウォーカーの優しい笑顔が最後は涙で見えなくなりました。
「ワイルドスピード」シリーズはもちろん、
重力を無視した「フルスロットル」のアクションもカッコ良かったし、
イケメンを前面に出していた初期のラブコメも大好き。
「ロードキラー」なんてB級のホラーも…
RIP..
狂気じみた鬼教官
狂気を帯びていくドラマー
お互いを理解してるようでいて、全く噛み合わない
激しく壮絶なエゴを全身全霊でぶつけ合う
二人の天才の狂気
ドラム奏者ニーマン(マイルズ・テラー)のクレイジーなサマはまるで何かに取り憑かれたかのように狂っていて、そんな彼に容赦なく怒声罵声を浴びせる伝説の鬼教官フレッチャー(J・K・シモンズ)もまた天才を生み出すことに取り憑かれた狂人で、とてもまともじゃない。
まともじゃないんだけど、その先にあるものは狂気を超越した美しくも崇高な素晴らしき音楽。
フレッチャーはサディスティックという表現では生ぬるいくらい狂気じみたレッスンをして究極の高みにある演奏を目指してるんだけど、そんな自分の期待に応えられないヤツはとっとと音楽家の道を絶って勝手に潰れろって感じ。
何があろうとも自分の信念は絶対に曲げないパラノイア
一方、ニーマンは名門の音楽院でフレッチャーに認められたら偉大な音楽家になれるという勝手な思い込みがあるから、少しでもテンポに狂いがあれば同じパートを何度も繰り返し演奏させられ、手から流血することになっても、理不尽な言葉で罵られ、精神的にボロボロになるくらい極限まで追い詰められることになっても、どんなに酷い仕打ちに遭おうと決して折れない。
何があろうと負けじと必死で食らいついてく野心家
そんな偏執狂的な二人の師弟愛がドラムを通して二人にしか分からない言語で、
二人だけの世界でお互いに対話するように響き渡るのですが、
この壮絶なクライマックスの約10分間はすさまじいほど熱く、
鬼気迫るニーマンの魂の咆哮に、時に鬼のような形相で睨みつけ、時に父親のような優しい眼差しで愛弟子を見つめるフレッチャーの静かな頷きに、心がぶるぶるぶるぶる震えました。
2つの才能が衝突したこの瞬間
二人の心は常人には理解しがたい深いところで通じ合ったわけですが、
その瞬間に見せる二人の表情がこの作品のすべて。
ちょっと余談ですが…
「セッション」という邦題はギリギリ許容範囲だけど、
音楽的なセッションという意味よりも心と心の会話って感じ。
フレッチャーのしごきっぷりは常軌を逸したドSで、だからこそ文字通り鞭(=WHIP)でしばき倒す(=LASH)という意味なんですが、ドラムに打ち込むあまりにドラマーの職業病であるムチ打ち(=WHIPLASH)になるという意味でもあり、有名なジャズの曲名でもあるから、セッションなんて安易な邦題ではなく、
原題「WHIPLASH」のままにしてほしかったかな。
さらに余談ですが…
僕はライブに行くとよくドラムに目がいくのですが、
僕が興奮したのはFUZZY CONTROLの女性ドラマーSATOKOです。
彼女は実は手数王の異名を持つ菅沼孝三の娘なんだよね。
バディ・リッチにも負けないくらいのスピードでドラムを叩く父と娘のスティックまわしは圧巻ですよ。
あと、出番は少なかったメリッサ・ブノワは超かわいかった。
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