「君の名は。」は予想してた通りの反応になっちゃったなー。
「作品は素晴らしい…でも、RADWIMPSはうざい」
「あの音楽がぶち壊した」
「どうせ若者狙いの起用なんだろうけど、残念極まりない」
でもね、そんな批判に反論するわけじゃないけど、
僕は思うわけさ。
この作品を素晴らしいものに昇華させたのはRADWIMPSの音楽だ…と。
もともとRADWIMPSは「めっちゃ好き」という人と「大嫌い」という人が両極端に分かれるバンドなんで、
映画の主題歌にするなんて興行的にはリスキーなんですよ。
ましてや主題歌のみならず、作品の音楽まで担当してるわけだもん。
RADWIMPSの音楽性が色濃く出て当たり前。
しかも、新海誠監督自身が惚れ込んでるバンドだから、
新海誠監督がRADWIMPSの音楽性に合わせた演出したと思うんですよ。
そのくらい、
この作品の世界観とRADWIMPSの世界観は僕的には予想を遥かに超える見事なマッチングでした。
※歌詞の紹介とネタバレ極私的解釈はこちら⇒映画中毒者の独白
絵コンテの1コマ1コマが楽譜に合わせて割り振られてるかのようにピッタリと合うし、
音楽が奏でられる場面では極力セリフを抑え、
RADWIMPSに二人の心境をセリフとして語らせてるかのよう。
音楽がRADWIMPSではなかったとしてもこの作品の素晴らしさは変わらないけど、
RADWIMPSのボーカル野田さんの優しさと激しさがセリフのごとく物語ってる点は他にあまり類を見ない素晴らしさだと思います。
映画の主題歌のみを担当するバンドはたくさんあっても、
音楽まで携わるバンドはそうそういない。
だからこそ、RADWIMPSを好きな人からは大絶賛されるだろうし、
嫌いな人はもちろん、好きでも嫌いでもない人からは好意的ではない感想を持たれるかな。
1年半にわたって監督と意見交換しながら作り上げた音楽。
それは確かにRADWIMPSの音楽でありながら、
新海誠監督作品としてさらにお互いを高め合う効果をもたらし、
それが爆発的ヒットにつながってる気がします。
とにかく、すべてにおいて最高の作品でした。
この作品のネタバレはこちら⇒映画中毒者の独白
「こんな女子は嫌だ」って思う自分が心の中にいた。
甘えた声でおねだりする子猫のように近づいてくる主人公のキリコ(森川葵)に「俺は簡単になびくような他の男たちとは違うから」とクールに突き放し、その手には乗らない宣言をする男(木口健太)は目も合わせようとしない。
でも、女子から嫌われる女子の上目遣いにコロッとやられちゃう男は世の中にたくさんいるわけで、この男もやっぱり…(笑)
同僚からビッチ呼ばわりされようが、平然と「可愛くて何が悪い」的な態度で切り返し、「かわいい」が女の価値だと信じて疑わないキリコが実はある男にとっては都合の良いセフレでしかなかったという件は痛烈で…しかし、残酷で皮肉なリアル。
キリコの価値観はぶち壊されたけど、やっぱキリコはキリコでかわいいままでいい。つまりはこの娘、ただ素直なんだよねー。男に媚びるような言動だけ見てたら「何様」女でしかないけど、人知れず好きな人に好かれようと努力していて、誰よりも「かわいい」であり続けたいと、ちょっと背伸びしてるんだ。
そんな心の内が垣間見えた瞬間、頭をなでなでしながら「頑張らなくていいんだよ」と抱きしめたくなる…あぁ、そんな僕もやっぱり…。
一度は突っぱねながら、結局はキリコにほだされちゃって断れなくなる男ってバカだ、どうしようもなく単純なバカだよなー。
女子に嫌われようが、男に媚びようが、君は君のままでいい。
それにしても女の本音がほんの一瞬の口の動きに現れるところは女の怖さ。
男のバカな生き物だけど、女は本能のままに強くたくましくなっていくのかな?
大人になるにつれてどんどん魅力を増していく広末涼子の映画デビュー作
アイドル映画ではなく、ただの高校生の恋愛映画でもなく、
宇宙人の存在が絡む不思議でファンタジックな物語なんですよ。
二人がお互いの気持ちを確認出来たのは宇宙人のおかげなんですが、
その宇宙人、チュンセとポウセは果たして本当に宇宙人なのか?
この物語は「映画製作を通して結ばれる男女のラブストーリー」だから、チュンセとポウセは二人が製作した映画の中の主人公なのかもしれない。実をいうとそのへんは僕にはよく解らなかったんだけど、わからなくたっていいんです。二人が結ばれるまでの過程がこれまでの映画にないような展開で、爽やかですごく面白かったからね。映像がまた素晴らしい!
公開当時、テアトル梅田というミニシアターで見たんですが、広末人気で超満員でした。
とても初々しくて可愛かったけど、当時はまさかこれほどの女優になるなんて思いもしなかったなー。
<ストーリー>
高校2年生の遠山杏(広末涼子)はある日、ビデオカメラを持った自称“宇宙人”を名乗る不思議な少年、片岡徹(圓島努)に出会った。彼は「地球が滅びるまでをビデオに収める」と話し、東京のさまざまな景色を撮影していたが、彼女は戸惑いながらも彼と一緒に過ごすことにした。そして、二人は次第に心を通わせていくが、やがて作品の結末について意見を衝突させるようになる…。
「PERFECT BLUE」
どこまでが「現実」でどこからが「妄想」か?
どこまでが「ドラマ」でどこからが「夢」か?
現実と妄想と夢とドラマとが瞬時に切り替わるから、
頭の中は大混乱。
でもって、劇中劇がサイコサスペンスだから、
殺人事件があってもそれがドラマなのか夢なのかの判別ができなくて、
「あれれ!?」の連続。
結末を知ったら、
「あ、なるほど、そうだったのか」
と思えてくるんですが、
それでもまだどう解釈したらいいのか分からないシーンがあるんで、
しばらく頭の中は混乱したまま。
これは何度か観て頭を整理する必要があるかな。
リピート確実なんだけど、
当時映画館で観終わった後は「???」でいっぱいになりました。
一瞬でも記憶をなくしたら…
あるいは身に覚えのないことがあったら…
1秒前の自分でさえも「自分」だって言い切れなくなるかもしれません。
もしかしたら別の人格になってたかもしれないし、
夢の中にいたかもしれない。
だって、
今この瞬間でさえ自分は自分であると自分自身では絶対的に確信できても、
その事実を他人に断言できる証しなんて実は何一つないんだもん。
そう考えるとリアルで面白かったです。
アニメだけに描写もかなりエグイ。
実は原作は同じでも内容は少し違う実写版あります。
アニメはダーレン・アロノフスキー監督もオマージュするほど大傑作のサイコサスペンス。
「PERFECT BLUE」(’97日本)
原作:竹内義和
企画:大友克洋
監督:今敏
「鉄塔武蔵野線」
僕は忘れないよ。
あの日、君と冒険したこと。
なんとも懐かしくて思わず涙があふれてきました。
少年時代には誰もがみんなちょっとした“冒険”をした経験があると思いますが、
僕にとってはせいぜい隣町に行く、そのぐらいのことだったけど、大きな冒険でした。
未知の世界に足を踏み入れるようでドキドキしたし、
これ以上遠くに行ったらもう家に帰れなくなってしまうんじゃないかという不安と恐怖がありながら、それでも日が暮れるまで歩いて行く…。
親には内緒でそんな冒険をしたことをふと思い出させてくれる作品。
大人になった今、
賢くなった分だけ冒険はしなくなるし、
リスクはできるだけ負わないように知恵を働かせるから、
こんな計画性のない冒険はしません。
それが「大人になる」ということだとしたらちょっと寂しい気分になりますが、
この作品を見ると冒険した記憶が呼び覚まされるんです。
あの頃は草も木も川も人もまわりのものすべてが大きく見えました。
大人になった今はそれらが小さく見える。
よく遊んだ公園でさえ、必死になって乗り越えた高いフェンスでさえ。
冒険に立ちはだかるあらゆる障害も今なら簡単に乗り越えられるけど、
知恵もお金も経験も何もない小学生には危ないことばかり。
小さな大冒険は自分を大きくしてくれたかもしれません。
彼ら少年二人の冒険は懐かしいだけでなく、
忘れかけていた大切なモノも思い出させてくれました。
この鉄塔はどこまで続いてるんだろう?
そんな素朴な疑問さえ持たなくなるのも大人になるということなのかな?
あの頃のように、日が暮れるまで何かを追いかけてみたい。
ふと、そんな気持ちが蘇ってきました。
「ソロモンの偽証」
宮部みゆきのベストセラー小説の中でも最高傑作といわれるミステリー「ソロモンの偽証」の映画化作品。
公開前に2部作の前篇と後篇を一気に見られるというプレミア上映会があったんですが、こういう企画は大歓迎。
「進撃の巨人」みたいに2部作にする必要性がない作品だってそのまま一気に見られるなら足を運びたくなりますが、
前篇の出来があまりに悪ければわざわざ別の日に時間を作ってまで後篇を見る気になれないもんね。
後篇見に行かなかったです
ある中学校で起きた不可解な生徒死亡事件と、その真相を暴こうする女子生徒が開く学校内裁判の行方を追い掛けるというのがこの作品の大まかな全体像。
前篇の圧倒的なディティールは胸を鷲掴みにしてそのまま釘付けにする破壊力があるから、息つく暇なく続くミステリーの緊迫感とある意味ホラー的な恐怖のピリピリ感がたまりませんでした。
後篇は一転して涙ナミダのヒューマンドラマで、学校内裁判を通して次々と明らかになっていく事件に隠れてた真実と浮き彫りになる心の深い闇に息もできなくなるほど強烈なカウンターパンチの連続&号泣。
ショッキングで救いがない…それでいて勇気と希望にあふれていて、2作合わせて5時間、
とても重厚で素晴らしい作品でした。
「早く続きが見たい」度MAXになるのは確実なタイミングで前篇は終わるんだけど、
そのあざとい手法だけが映画興行の算盤勘定がミエミエすぎてちょっと残念。
松竹配給だから必死になるのもわかるんだけどね。
これが東宝ならもっとライトな仕上がりになるだろうから、
それはそれで松竹の重厚感ある味わいがなくなっちゃう気がするだけに、
そのギリギリのラインで攻めてほしかった。
だって、あそこで終わったら後篇を見ないわけにはいかない…そんな感じだもんなー。
「海を感じる時」
う~~~ん…は、て。
女は男に「男は勝手やね」と呟く。
でも、何がどう勝手なのかは男の僕には解りません。
最初は「女の肉体に興味があるだけで好きとかではない」とハッキリ明言して突き放してた男が本気で好きになって体を求めたら、
今度は女が拒絶する。
それまでずっと拒み続けてたのは男の方だったのに、
男から求めた途端に激しく反発されるという男と女の解明不能な不可解…
それは心のすれ違いというより、
男女が持つ動物的本能の違いなんかな。
あるいは真に純粋ゆえに、
女は愛されてるという心の充足感を求めるようになったのかもしれない。
それが彼女にとっては大人に成長するってことだとしたら、
男はいつまでたってもガキのまんま。
剥き出しの感情がぶつかりあったときに生じる暴力性は男にも女にもありますが、
男にはないのが母性愛と子宮。
下着姿で海を眺めるようなカットで終わるラストシーンはまさに女性にしか解らないセンシビリティで感じる「海」なんだろうし、そういう意味では女性視点で作られた恋愛映画ですね。
シンプル思考な男には謎解きよりも難しい女心。
それにしても市川由衣の体がエロくて生々しい。
初日に見に行きましたが、彼女のオールヌードがなければ作品として7割減かな(笑)
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