狂気じみた鬼教官
狂気を帯びていくドラマー
お互いを理解してるようでいて、全く噛み合わない
激しく壮絶なエゴを全身全霊でぶつけ合う
二人の天才の狂気
ドラム奏者ニーマン(マイルズ・テラー)のクレイジーなサマはまるで何かに取り憑かれたかのように狂っていて、そんな彼に容赦なく怒声罵声を浴びせる伝説の鬼教官フレッチャー(J・K・シモンズ)もまた天才を生み出すことに取り憑かれた狂人で、とてもまともじゃない。
まともじゃないんだけど、その先にあるものは狂気を超越した美しくも崇高な素晴らしき音楽。
フレッチャーはサディスティックという表現では生ぬるいくらい狂気じみたレッスンをして究極の高みにある演奏を目指してるんだけど、そんな自分の期待に応えられないヤツはとっとと音楽家の道を絶って勝手に潰れろって感じ。
何があろうとも自分の信念は絶対に曲げないパラノイア
一方、ニーマンは名門の音楽院でフレッチャーに認められたら偉大な音楽家になれるという勝手な思い込みがあるから、少しでもテンポに狂いがあれば同じパートを何度も繰り返し演奏させられ、手から流血することになっても、理不尽な言葉で罵られ、精神的にボロボロになるくらい極限まで追い詰められることになっても、どんなに酷い仕打ちに遭おうと決して折れない。
何があろうと負けじと必死で食らいついてく野心家
そんな偏執狂的な二人の師弟愛がドラムを通して二人にしか分からない言語で、
二人だけの世界でお互いに対話するように響き渡るのですが、
この壮絶なクライマックスの約10分間はすさまじいほど熱く、
鬼気迫るニーマンの魂の咆哮に、時に鬼のような形相で睨みつけ、時に父親のような優しい眼差しで愛弟子を見つめるフレッチャーの静かな頷きに、心がぶるぶるぶるぶる震えました。
2つの才能が衝突したこの瞬間
二人の心は常人には理解しがたい深いところで通じ合ったわけですが、
その瞬間に見せる二人の表情がこの作品のすべて。
ちょっと余談ですが…
「セッション」という邦題はギリギリ許容範囲だけど、
音楽的なセッションという意味よりも心と心の会話って感じ。
フレッチャーのしごきっぷりは常軌を逸したドSで、だからこそ文字通り鞭(=WHIP)でしばき倒す(=LASH)という意味なんですが、ドラムに打ち込むあまりにドラマーの職業病であるムチ打ち(=WHIPLASH)になるという意味でもあり、有名なジャズの曲名でもあるから、セッションなんて安易な邦題ではなく、
原題「WHIPLASH」のままにしてほしかったかな。
さらに余談ですが…
僕はライブに行くとよくドラムに目がいくのですが、
僕が興奮したのはFUZZY CONTROLの女性ドラマーSATOKOです。
彼女は実は手数王の異名を持つ菅沼孝三の娘なんだよね。
バディ・リッチにも負けないくらいのスピードでドラムを叩く父と娘のスティックまわしは圧巻ですよ。
あと、出番は少なかったメリッサ・ブノワは超かわいかった。
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