「ごめんね~ルパン」
「そりぁないぜぇ~不二子ちゃ~ん」
そんなやりとりがどことなく聞こえてきたのは僕だけでしょうか(笑)
これがスパイではなく泥棒だったら完全にルパンです。
どうせ荒唐無稽なんだから、
第二次世界大戦うんぬんみたいな戦時下のスケールは無視して、
現代の産業スパイとかに設定を変えた方がよかったんじゃないかな。
ただでさえミッション:インポッシブルを大幅にダウンサイジングしているのに、
それでもまだ不相応に思えるくらいミニミニスパイ大作戦。
とりあえずツッコミどころ満載で、
亀梨の逃走中早着替えが全く役立ってる感がないし、
無国籍感を出すなら「魔の都」なんて表現は中途半端だし、
時間切れで敵に見つかるってドンマイすぎるし、
ライターとか写真とか運命を託したラッキーがなければ全部大失敗やん。
そもそも根本的にこの作品のどのあたりが究極の頭脳戦で、
どこで誰がどう騙されるわけ?
何が衝撃的結末なの?
シンプルでそのまんまなのは予告篇詐欺って感じ。
亀梨くんはそれなりにカッコよかったけど、
カッコよく見せることを終始徹底してるから当たり前で、
それ以上の見所はなく、
深田恭子は誰がどう見てもただのメイドではないことくらいすぐ分かるし、
鞭でシバかれるのもマニアにはいいだろうけど、アクションやるには体にキレがない。
演出はスピーディーであっという間のテンポ感なんで、
入江悠監督もこれでメジャーになりそうだけど、
本来の作風(「サイタマノラッパー」シリーズとか「日々ロック」)とは合ってない気もする。
……なんて不満ばかり書いたけど、
2時間のエンターテインメントとしてはまずまず楽しめたかな。
決して亀梨くんのファン以外にはオススメはしませんが…
余談ですが、
タイトルは「ジョーカー・ゲーム」です。
「・」が重要で、
「ジョーカーゲーム」だと某AKBのアイドル主演の脱出ゲームになりますので、
お間違えなく(笑)
明日の予告を教えてやる
勘違いするな
俺は自分の為にやってるわけじゃない
何がしたいかって?
まあ、黙って見てろよ
俺が世界を変えてやる
ネットで犯行予告する「予告犯」の言葉。
「世界を変えてやる」って言葉に
どんなスケールの仕掛けで世界を変えるのか楽しみにしてましたが、
いろんな意味でそれは僕の期待外れでした。
世界は何も変わりません。
ほんの束の間、法では裁けない社会悪を懲らしめるヒーローとして世間を賑わせただけ。
それどころか真の目的は世界を変えることではなく…
あ、いやいやいや、見事にやられましたよ。
こんなに心地よく泣ける期待外れは大歓迎っすよ。
前半はエリート女刑事が犯人像に迫っていくサスペンスなのに、
中盤以降は大きく舵を切って、
事件の本質をあぶり出しながら社会派ドラマに昇華させていく。
中村義洋監督らしい見事な演出でスクリーンに釘付け。
そして、クライマックスでは止めどなく涙がボロボロ溢れてきました。
「人は誰かのためになると思えば小さなことでも動くんです」
というセリフが印象的で、
何も見返りを求めないからこそ、
どこかの誰かのために何かしようと動けるんだよね。
気がつけば上を見上げる余裕すらなくなるほど、
希望という明日には最も遠い社会の底辺まで落ちてしまった彼らは日々、
低賃金で過酷な肉体労働を強いられ、その挙句が…うあーー、なんてこったー。
今、世の中的には派遣労働法の改正で「一生派遣のまま」という事態にもなりかねない状況にありますが、主人公のゲイツ(生田斗真)もまさに正社員になるために必死で汗水流してたのに、上司からさんざんこき使われ、その挙句に胃潰瘍で吐血して入院するハメになったことで、今度は復職しようと思っても入院期間という“空白”が足かせとなって仕事が見つからない。
そして、行き着く先は日雇いしかない。
恨むならブラック企業の上司ではなく、
こんなシステムを作った社会を恨むしかないけど、
これが派遣の現実。
いかなる状況にあったとしても彼らの犯行は決して許されるものではない…
それは誰もが分かってるけど、彼らはその犯行を正当化するつもりもなければ自らキチンと罪を償おうとしてるわけだから、こんな社会にしてしまった政権与党をこのままにしておくのは怖い気が…って、ここは個人的な意見なのでスルーしてください。
世論を利用する政治家のパフォーマンスの方がよっぽど悪人に思えたので、
彼らのお仕置きには共感する部分がありました。
まー、監督と脚本家が同じコンビなので、
「白ゆき姫殺人事件」と変わらないネットでの炎上ぶりがありふれた演出でしかないのは残念だし、ご都合主義も多々ありますが、そんなことはもう涙で見えないクライマックスで全部吹っ飛びました。
…と、見た直後は号泣しながら思ってましたが、
実はこのレビューを書いたのはもう4ヶ月以上前だったりするんです。
時間の経過とともになんだか勢いでごまかされた感じがしてきて、
僕の泣きツボを見事に突かれたから条件反射で思わず泣いちゃったけど、
冷静になって振り返ってみたら「おいおい、ちょっと美談すぎるやろ」って気分だったりする(笑)
それでも楽しいエンターテイメントでした。
生田斗真の俳優人生の代表作になっちゃうんじゃないかな。
今あなたは幸せですか?
あなたは幸せになりたいですか?
あなたにとって幸せとは何ですか?
そんな主人公のモノローグで始まるこの作品。
沖縄の食堂を舞台にした4人の男女が織りなすラブストーリーなんですが、
最初の一口目はシンプルであっさりした味わい。
調味料は優しい嘘を小さじで少々盛ってみたってところか。
でも、4人それぞれが心に秘めてた隠し味をどっさりと晒け出したところで
ちょっとビターな大人のテイストになった感じ。
この味の変化がある日を境にずっと止まっていた主人公の時間を動かし、
つねに受け身だった臆病な自分からの脱却につながって、
「これでいいんだ」っていうありのままの自分オリジナルの生き方のレシピが完成!
いやー、なんかちょっと、かつての自分を見透かされた感じやわ。
お互いにホントの気持ちをきちんと確かめもせずになんとなく終わったような感じになっちゃう自然消滅的な別れ方は知らぬ間に相手を傷つけてることもあれば勝手に傷つけられた気分になってることもあって、お互いにとって良くないよね。
恋愛にはハッキリさせない方がいいこともあるけど、
傷つきたくないからといって目を背けてたらすべてがぼんやりしたまんま時が止まってしまう。
冒頭のモノローグは自問する主人公が見つけられない答え探しのよう。
でも、見つけられないのは見たくないから目隠しをしてるせいで、
自分でもよくわからなくなってるんやろね。
だって、自分が本当にそばにいたい人は誰なのかを考えれば答えは明白なんだもん。
それを知るのがただ怖いだけ。
沖縄が舞台の映画にハズレなし…と勝手に思ってますが、
この作品はなんちゃって沖縄って感じで物語のスパイスにはあまりなってないかな。
精霊が宿るという“ひんぷんガジュマルの木”をわざわざ背景に持ってくるのは印象的なだけで意味はあまり感じられないし、沖縄特有の空気感も出てないから、ご当地映画とはいえ都会でなければどこでも良かったような…。
初主演の波瑠も最近よく目にするネクストブレイク確実な竹富聖花もすごくよかったけど、
ミステリアスな雰囲気を醸し出していたのは小柳友くらいかな。
あなたが本当にそばにいたい人は誰ですか?
「青空のゆくえ」
男子バスケ部のキャプテンである主人公の正樹(中山卓也)が中学3年の一学期の終わりに両親の都合で夏休み中にアメリカへ引っ越すことを突然発表したことで、5人のクラスメイトの女子が彼に対して恋心なのか友情なのか自分でも分からないような想いを持っていたことに気付いていくという青春群像劇。
幼なじみで彼が引っ越すことを唯一事前に知っていた春奈(多部未華子)は幼なじみゆえにいつも本音とは裏腹にケンカ口調になってしまう。
女子バスケ部キャプテンの速見(森田彩華)はいつも一緒に練習してるだけに誰よりも彼のことを知ってると思っていたのに、引っ越しのことは聞かされてなくて裏切られた気分になる。
渋谷に向かうバス停で偶然バッタリと出会ったことでそのまま半日デートした学級委員長の亜里沙(黒川芽以)はその日から急に彼のことを意識してしまう。
帰国子女の市田(西原亜希)はどうせ卒業後には渡英するからと友人を作らずにクラスメイトとは少し距離を置いてきたが、自分に対して気さくに話しかけてきた彼は心を許せるメル友。
気が強くて男っぽい性格の貴子(悠城早矢)には友達はいないが、彼だけは唯一心おきなく何でもぶっちゃけて話し合える…。
そんな5人の多感な女子たちが
「正樹が引っ越す」
という“一大事件”をキッカケにそれぞれが自分の気持ちに気付くわけですが、
それまではとくに異性として意識してなかったんですよね。
正樹の「中学生活にひとつだけやり残したことがある」という意味深発言の真意とは何なのかをめぐって女子たちは急に色めき立ちますが、見てるほうもそれが何かとても気になります。。
朝刊配達の途中で必ず立ち寄る家があって、その家の2階の窓と空に向けたサイン。
その行動の意味がラストでようやく明らかになりますが、
正樹という男がまるで武士のように思えてきました(笑)。
女子たちのほのかな恋心がまた可愛らしいんだ。
速見だけがどこまでが本音かは分からなかったけど、
偶然の半日デートで彼に対する恋心に気付いた亜里沙にしても、
好きなのに彼から異性として扱われてない貴子にしても、
幼なじみということがネックで自分の想いとは裏腹についつい憎まれ口を叩いてしまう春奈にしても、
みんなみんな「好き」という言葉を素直に伝えられずにいます。
とくに春奈の小さな胸の内は複雑で、
同性とか異性とか友達といった相関するカテゴリーを超越した
“幼なじみ”という立場はそれ以上でもそれ以下でもなく、
そもそも最初から恋愛感情なんて次元の違うところにあるんで、
そこから恋人になるのは極めて難しい。
それが中学生なりに分かりすぎてるからこそ、
彼がアメリカに旅立つ前に姉の計らいで撮った2ショット写真は表向き、
「今さら2ショットなんて…」
と、照れくさい気持ちを隠すためにムスッとした表情を浮かべてますが、
でも、内心はメチャメチャ嬉しいはず。
そんな初々しい仕草がとても可愛らしいし、
そういうビビッドな青春の一場面がとても爽やかで清々しくて気持ちいい。
夏休みに誰もいない夜の校舎でみんな集まって花火をする場面も青春していてスゴくいい感じ。
「青空のゆくえ」
遠く離れたアメリカに引っ越してもこの空はどこまでも続いてるから、
この青空の向こうには彼がいる。
離れていてもみんな同じ空の下にいる。
彼らの青春の行方を想像させてくれるラストシーンの余韻がいい。
「色即ぜねれいしょん」
アホすぎるくらい単純でヘタレな主人公はボブ・ディランに心酔し、
ロックな生き様に憧れながら、でも、優しすぎる両親と幸せすぎる家庭で、
何不自由ない日々を送る文科系男子高校生なんですね。
不良でも優等生でもなく、ごくごく平凡で退屈なフツーの生活。
小学生の頃から片想いしてる女の子がいても告白する勇気なんてない。
何かに反抗するだけの熱い“ロック魂”すら持てず、
ボブ・ディランのように旅に出る必然さえもないことがロックに対するコンプレックス。
そんな彼がフリーセックス主義者が集まるとウワサの隠岐島に友人二人と旅に出てひと夏を過ごすことで、ほんのちょっぴり“オトナ”に成長するという青春の物語。
男子にとっての青春はとにかくカッコ良くありたいと願うもの
でも、それは豪速球でストレートな言葉に置き換えると、
「やりたい」とか「モテたい」という一心だったりするんですよね。
多くの男子は至極単純で、そのためにはどうすれば良いかを考えますが、
もし心の中が見えるなら99%女子のことしか考えてないことがバレバレ(笑)。
健康な10代の男子なら頭の中は女子に支配されてるもん。
そんな悶々とした青春のリビドーをメッセージとして音楽にのっけたら、
自分の中で何かが変わるかもしれない。
モヤモヤとした青春の苦悩がスッキリするかもしれない。
もどかしいほどくすぶっていて、積極的になれない青春のアクセルが全開になるかもしれない。
ロックをやるには「幸せすぎる」というコンプレックスから解放されるかもしれない。
色即是空
「人間は皆、最期は空になってしまうのだから、世の中の物事に執着するのは虚しい」
という意味の仏教の基本的な教義で、つまり、簡単にいえば「今を生きろ」ということ。
セックスだけがやりたいわけじゃない。
そんな歌ばっかり作ってたから人前で歌うことなんてまったく考えなかった。
でも、「音楽は最強の武器になる」と家庭教師に言われ、授業では「今を生きろ」と教師から言葉を送られ、思い切って文化祭のステージに立った主人公はめちゃめちゃカッコ良かった。
カッコ悪かった青春が、何の取り柄もなかった文科系の男子高校生が、
その瞬間、ステージ上で熱く輝きました。
自己の表現欲求を真摯にストレートにぶつけたことで聴く人の心を揺さぶりました。
そんな主人公にメチャメチャ共感できるサイコーに面白い作品でした。
青春×旅×音楽
今、何かにくすぶってる若者よ、さぁ旅に出よう!
エロティシズムブルース!
人を好きになるのって楽しいことばかりじゃない
つらくて、痛いんだ。
「好き」っていう瞬くような感情のキラキラは鋭く尖って相手の心に突き刺さるから、
その感情は時として人を傷つけ、その感情によって傷つけられることもありますが、
「好きな人に好きな人がいたとして好きでいる」
という気持ちがゼロにはならないなら、
どうあれ自分もしくは誰かが傷つく覚悟も必要かもしれない。
「片想い」にはいつか限界が来る。
だって、人は欲張りだから…
必ずそれ以上のものを求めたくなるから
いつかその限界に苦しむことになったとしても
自分の限界は自分で決める!
今、改めて自分の高校生活を振り返ってみれば…
結果はどうであれ自分の思いは気持ちの赴くままもっと素直に相手に伝えておくべきだったな~なんて思っちゃうけど、当時は当時で一生懸命だったからね。
でも、思いは伝えることからすべてが始まるわけで、。
うまくいくにしても最悪の結果になったとしても高校生活は生涯にたった一度きり、
そこにきっと悔いはないはず。
だからこそ、
「片想いでもいいから友達でいたい」
と告白した主人公の仁菜子(有村架純)の勇気にはあっぱれ。
いや、僕だって今からでも決して遅くはないんだろうけど、
草食男子には高いハードルですわ(笑)
いずれにせよ言葉にして自分の思いをちゃんと伝えるのは大切なことだし、
相手を思いやる気持ちも大切だよなー。
男女の恋愛だけでなく、人間関係においても…ね。
さて、自分が好きな人に好きな人がいたとしたら、
どうやったら自分はその好きな人が好きな人を越えられるんだろう…
コレ、僕がクリアできない永遠の難題(笑)
だって、男としても人間的にも乗り越えなければ好きな人を振り向かせることは難しいやん。
じゃあ、好きな人の一番になるための努力を最大限惜しまないこと以外、
どうすれば一番になれるの?
女子のみなさん、女心教えて。
「好きな人に対する思いなんて全部俺が消しゴムで消してやる!」
なんて言ってみたところで、
そんな簡単に消えるような相手ならそもそも大して好きにはならないし、
「世界中を敵に回したって僕は君を守る」
と言ってみたところで、真っ先に守ってほしいのは一番の人だろうから、
そんなタイミングで複雑な顔を見せられたら辛くなるだけ。
好きな人の好きな人にはどうあがいてみたところで勝てないんだろうか…
ましてや相手が校内一のイケメンの蓮(福士蒼汰)だったら勝負する前から諦めてしまいそう。
いやいやいや、それではアカン。
諦めたらそこから先何も変わらないやんか。
好きな人をどうやったら振り向かせることができるんだろう…って、
自問を繰り返してみたってきっと答えは出ない。
結局のところ、その人の好きな人云々に関係なく、
やっぱストレートに自分の感情のすべてを相手の左胸めがけてぶつけるしかないかもしれないね。
もちろん、それまでは自分のブランディングは欠かさず。
頭でっかちで考える暇があったら行動した方が早いってか(笑)
そんなことを考えながら帰宅したら、ほんのちょっぴり熱が出た(とほほ)
「ストロボエッジ」は自分の青春を振り返りながら、
チャラ男の安堂(山田裕貴)の男としての優しさに号泣でした。
元カノにブチ切れした彼はちょっとダサかったけど、
それだけ好きだったからこそ許せない感情が高まるのは解らんでもないかな。
でも、そのあたりが案外女子にとってはビミョーに決定的な蓮との違いなのかもしれない。
イヤホンを片方ずつ分けて同じ曲を聴くとか、
不意におでこにチューとか背中を向けて強がるとか、共感度大で大好きな場面もいっぱいでした。
ただ、個人的には同じ原作者の「アオハライド」の方が良かったかな。
舞台となった高校(新潟県の新発田高校)のデザインがめちゃめちゃソフィスティケートされていてカッコよかったなー。
「深呼吸の必要」
悩んでいても疲れていても、
「なんくるないさー」って魔法の言葉が全部吹き飛ばしてくれる、
そんな作品
それぞれに何かしらの事情を抱えながら、さとうきび刈りのアルバイトの募集告知を見て沖縄の離島にやって来た東京で生活してるひなみ(香里奈)、クールな大輔(成宮寛貴)、ブランド品で着飾る悦子(金子さやか)、最年長の修一(谷原章介)、無口な加奈子(長澤まさみ)という5人と、常連の田所(大森南朋)とかつて近所に住んでいた辻本(久遠さやか)を加えたまったく初対面の7人の若者。
彼らがこれから35日間、寝食を共にしながら、大自然の中で、
来る日も来る日も全長3メートル、7万本のさとうきびをただひたすら刈り続けるという過酷な共同作業を通して一体感が芽生え、ひとつの目標を達成させようとする青春群像劇なんですが…
沖縄の広大な自然とバイト先のおじぃとおばぁの温かくて優しい眼差しが、
心に傷を抱えてずっと息切れしたままの彼らに「深呼吸の必要」を教えてくれる作品なんですよね。
いわゆるヒーリング映画で、
癒しを求めてる若者にはこのスローな空気がドンピシャかな。
若者はそれぞれが心に何かしら…と書きましたが、それらのエピソードはあんまり描かれてません。せいぜい修一と大輔くらいで、他の人が本州から沖縄にやって来た理由は「想像にお任せします」ってところでしょうか。
ちょっと不親切のような気がしますが、。
すべて無条件に許してしまうのが沖縄が舞台の映画の魅力。
なにしろ青い空を見てるだけで清々しい気分になるし、
おいしそうな空気がさまざまな感情を包み込んでくれるから、
見終わった後は爽快感でいっぱい。
彼らだってきっと同じで、
都会で何があったのかは知らないけど、
沖縄でバイト仲間と過ごす35日間がすべてを変えてくれるんです。
いや、「すべて」というのは言い過ぎかな。
少なくとも深呼吸をすることで彼らは何かから解き放たれ、
まるで生まれ変わったかのような、新しい自分に出会えたはずです。
小学生のひなみが競泳で負けるシーンからこの作品は始まるんですが、
彼女はお父さんに「深呼吸したら勝てるの?」と問いかけるんですね。
結果は深呼吸をしてるときにスタートが切られ、
出遅れた彼女は最下位になっちゃうんですが、
この娘からの問いかけにお父さんが返した言葉は…
「勝てるわけじゃないけど楽しくなるよ」
でした。
さとうきび刈りも残すところあと1本になったとき、
田所の号令でその1本に向かってみんなで競争するんですが、
出遅れた彼女はトップでゴールしたんですよ。
冒頭が伏線になっていたのは予想外で、
競争を楽しんだ彼女はとてもステキな笑顔でした。
達成感で笑顔があふれる彼らはこのバイトを終えるとまたそれぞれの生活に戻るわけですが、
今度はきっと息切れはしないでしょう。
なぜなら、
さとうきび刈りに汗水流した彼らはこの35日間で深呼吸の必要を知ったから…。
時にはツライ現実から逃げ出してみたっていいんです。
それこそ、ちゃんと生きてさえいればなんくるないさー(沖縄弁で「何てことないさ」)
「重力ピエロ」
原作は伊坂幸太郎の70万部を超えるベストセラー小説なんだけど、
毎度毎度いつものごとく、伊坂幸太郎だけに何を書いてもネタバラになるから、
何も書けないのがツライところです。
至る所に無数の伏線を張りめぐらせながら、
それらが複雑に絡み合うことで謎がまたさらにナゾを呼び、
そして、
すべての謎が解き明かされた瞬間、
過去から現在に繋がる衝撃的な家族のドラマ、
家族がそれぞれに背負っていた“真実”に向き合わされるんです。
・不可解な落書き(グラフィティアート)
・謎の連続放火事件
・遺伝子配列を使った暗号
・24年前の忌まわしい事件
これらの点と点が線でつながった瞬間、
とてつもなく大きな“重力”が体にのしかかってくるんですよね。
それは彼らが否応なく背負わされた呪いたくなるような忌まわしい過去と、
どんなにあがいても抗うことのできない自分たちの運命に気付かされる瞬間でもあるのですが、
運命という名のあまりにも過酷で残酷で理不尽な“重力”がそこにありました。
胸が引き裂かれるような痛みと苦しみがそこにありました。
その運命を乗り越えようとする父
消し去ろうとする兄
終止符を打とうとする弟
「見たいと思う世界の変化にあなた自身がなりなさい」
というガンジーの言葉がありましたが、
この作品はそれぞれの方法で世界の変化を見ようとした家族の物語なんです。
愛は遺伝子を超える
「人は生まれた瞬間に家族になるのではなく、
生まれてからゆっくり時間をかけて家族になっていくのかもしれません」
ある人がこの映画に寄せていたコメントですが、
僕もまさにその通りだと思います。
いかに重苦しい現実と向き合うことになったとしても
家族という存在があれば大丈夫。
苦痛だって家族という存在で共有すれば気持ち的に心が軽くなる。
この作品で描かれるのはそれぞれがそれぞれのカタチで十字架のようにずっと心に背負っていた重力を越えようとした最強の家族愛です。
そう、家族愛はDNAさえも乗り越え、
それ以上の絆へと変化させる力があるんですよね。
だからきっと、愛があればどんなに困難で苦しくても大丈夫。
伊坂作品で欠かせないのは印象的なセリフですが、この作品にもあります。
・楽しそうに生きていれば地球の重力なんて消してしまえるんだよ。
・どんなにつらくて大変な状況でも楽しそうにやっていればきっと大丈夫。
・ツライことは陽気に伝えるべきなんだよ。
なかなかできませんが、重力を乗り越えるひとつの方法かもしれません。
余談ですが…。
グラフィティ(=Graffiti/落書き)はグラヴィティ(=Gravity/重力)との引っかけでしょうね。
「トイレのピエタ」
RADWIMPSのボーカルであり神様的なソングライターの野田洋次郎主演なんだけど、
まるでRADWIMPSの世界観そのまんま。
僕にとっては「セッション」と甲乙つけがたいけど、上半期1位。
夢に挫折したうえにスキルス胃癌で余命3ヶ月の宣告をされた青年の苦悩と葛藤を描いた作品で、真っ暗な闇の絶望の中でフラッシュのようにほんの一瞬ピカっと瞬く希望の光の眩しさを描いた作品で、このまま何もしなくてもただ死ぬのを待つだけの気鬱な日々から抜け出したくてもどこにも逃げられず、抗がん剤の副作用がもたらす生死の狭間で生きたいともがきながら、死にたくないとしがみつきながら、「俺は今この瞬間生きてるぞー」って心底から実感しながら迎える最期の瞬間を描いた作品。
「君と僕が出会えた奇跡を信じてみたい」
この世界で生まれたことも死んでいくことも人はみんな誰だって初めてなんだから、
みんな人生初心者なんだから、すべてを肯定していくしかない。
生きてるって、ただそれだけで素晴らしい。
ただそれだけで幸せ。
ただそれだけでこの世で最も美しい奇跡。
そんな中で偶然に出会った少女との交流がただ自分を変えていくだけならきっとつまんなかったかもしれない。でも、そうではなかった。
刻一刻と死に向かっていく青年の日常は少女と出会ったくらいでは変わらない。
だって、そんなこと言われなくたって自分が一番よく分かってるんだもん。
両親のいる実家に帰ったところで、東京に戻ってみたところで病気が治るわけでもなく、
死ぬのが怖くなくなるわけもなく、「なんで俺が」と恨んで嘆いてみたところで結局目の前は何も変わらない。
このままいつもと何も変わらず、
ごくごく普通に過ごすと思ってた夏がまさか生涯最後の夏になるなんて誰も思わないし、
思ったところで何もしないよね。
でも、僕たちが当たり前のように過ごす日常。
そんなもんは当たり前のようで当たり前ではないということをこれ以上ないくらい強烈なピエタで心に刻んでくれる作品。
中盤ですでに何度も泣きながら見ていたのですが、ラストはもう涙が止まらなくなりました。
苦しい感情のマイナスの浄化と、たとえ一時でも恐怖の支配から解放される心の昇華はまさに食べては排泄する自然の摂理に似ていて、汚物を吐き出してはキレイに洗い流すトイレにはぴったり。
ところで、プールに金魚はあえてのあえて?(笑)
生物は儚いものだから、せめて生きてるうちは水槽ではなく広大なプールで思う存分に全力で泳げ!生きてるうちは全力で走れ!生きてるうちは全力で生きろ!そして、全力で死んでピエタのようになればいい。
自分が今しなければいけないことを問われるような作品でした。
エンディングで流れる主題歌「ピクニック」がまた作品とリンクしていて素晴らしい♪
仲良しなどとはとても言えないこの『毎日』に
あまりに突然にさよならを切り出された
好きでもないのにフラれた僕を君は横で笑う
たまに上手に生きられた日には隠れて笑ってみた
「無様にもほどがある」
誰かが遠くで言う
じゃあ誰に教わればいい?
はじめて生まれたんだ
宇宙のまばたきの間の刹那に恋をしたよ
はじめてしがみついたこの世界の袖
振り払われようとて握りかえしたよ
(「ピクニック」野田洋次郎from RADWIMPSより)
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